予想外のハプニングで辞表を書くことに – MSH第28回 –

ブドウ畑

MSHシリーズは、私の約20年に渡る営業人生を振り返った物語です。

長野の営業所に泊まり込みの出張で働いているうちにだんだんと会社の中に仲間が出来てきました。
しかし、やっと会社が楽しくなってきた頃にパプにングが起きます。


スポンサードリンク




最初は、長野営業所への出張は嫌で嫌でしょうがありませんでした。

しかし、前回もお話ししたとおり、スノボーというウインタースポーツの趣味が出来ましたし、泊まり込みで会社の寮に入りましたので、自然と友人が出来ました。

本社で働いていた時は、会社のメンバーと遊びに行くことはありませんでしたが、長野では食事に出かけたりするようにもなりました。

「物事やってみないとどうなるかわからないものだな」って感じたものです。


そして、冬のトップシーズンが終わると、また、春からの行楽シーズンに向けて本社勤務に戻ることになりました。

「仕事にも慣れたし、仲間も出来て、いよいよ2シーズン目は本領発揮だ!」とやる気を漲らせていた時に思わぬハプニングに巻き込まれます。

それは、祖父の私に対する不信感と激怒でした。


祖父は、昔からあまり話す方ではありませんでしたが、私が山梨に来てくれて嬉しいと同時に、「若者として、いろいろと地域に貢献して欲しい」と内心期待していたようなのです。

例えば、神社の仕事や地元の消防団って、都会で関わることはほとんどありませんが田舎に行くとありますよね。


しかし、私が朝から晩まで仕事で帰って来ない上に、冬場は出張で数ヶ月家を開けることに不満を感じていたのです。
祖父が怒るのもしょうがありません。

私は、朝は5時、6時に家を出て、帰ってくるのは早くても8時、通常は9時でしたので、地元の消防団のお手伝いどころか、挨拶もしていない状況でしたから。


私が思うに「あんたのところの孫は何もしてくれないね?」なんて噂がたっていたのでしょうね。
そんな私に、「毎日飲み歩いて遊びまわりやがって」と募らせていた不満が爆発します!


ずいぶん昔の事なので、きっかけは覚えていませんが、ある日祖父と怒鳴りあいになりました。

私としては、都会を離れて友人も知人も一人もいない中で、限界ギリギリまで仕事をしていた自信があったので、祖父の私に対する不信感や怒りが少しも理解できなかったのです。


「お袋ごめん…」

そもそも山梨に来たきっかけは、母親がガンになって、「何か親孝行が出来ないか!?」と考えたからです。それが、たったの1年でこのような状態になってしまったのです。


その当時の私は若さゆえ、時間をおいて頭を冷やすという事が出来ませんでした。
「出て行け」と言われたら出て行くこと以外考えられなかったのです。

涙を流しながら辞表を書いたことは、今でも昨日の事のように覚えています。


そして、翌日。

私は朝一で辞表を持って社長室に行きました。

「昨日は出て行くって言っちゃたけど…」なかなかドアをノック出来ません。
というのも、都会からやってきた茶髪の兄ちゃんを快く雇ってくれた社長に恩義を感じていたからです。


しかし、もうあとには引けません。
そして、社長に辞表を渡すと意外な展開が待っていました。


その展開に関しては次回お話ししますね。


スポンサードリンク
スポンサードリンク



LINEで送る
Pocket


コメントを残す

note 始めました

営業の疑問・質問・悩みの相談が無料です
サブコンテンツ

このページの先頭へ