舛添都知事やベッキーの謝罪が炎上したことから学ぶべきこと

舛添都知事やタレントのベッキーさんが謝罪したこと、そして、謝罪したことによって更に炎上しているのはご存知ですよね。

でも、何故謝っているのに許されるどころか炎上してしまうのでしょうか?

営業マンやビジネスマンも他人事ではありません。
仕事で謝罪しなければならない事態に明日なるかもしれませんからね。

そこで、許される謝罪と許されない謝罪について考えてみましょう。


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誤りを謝るのが謝罪

結論から言いますが、謝罪というのは誤りを犯してしまったときに、自ら謝る行為のことです。
ですから、謝罪には潔さがなければなりません。

しかし、最近の有名人・著名人の謝罪が炎上してしまうケースに共通しているのは、あざとさなんですよね。


例えば、タレントのベッキーさんのケースですが、週刊文春の記事で不倫が公になり謝罪しましたが、「一体、誰に対して誤っているのか?」と感じるような謝罪会見でした。

正直、個人的には不倫は当事者同士の問題ですから、世間が騒ぐのもどうかと思います。
多分、私のような考えの人も多いのではないでしょうか。

しかし、不倫相手の奥さんやファンよりも、CMスポンサーの心証や今後も芸能活動を継続していくことばかりを考えているような謝罪会見が「なんだかベッキーってあざといな…」という印象を世間に与えてしまう結果となりました。


では、舛添都知事のケースはどうでしょうか。

海外視察でのお金の使いすぎを指摘されたことからはじまり、公用車で湯河原通い、最終的には政治資金を私的に利用した(家族旅行)という事態にまで発展してしまいましたよね。

※ 公金を何に対してどこまで使っていいかに関しては、この記事の趣旨から外れるので書きません。

結果的に謝罪しましたが「釈然としない」「説明になっていない」という人が多く炎上し続けています。

理由は簡単で、潔さが全く無いからです。
「精査してお答えします」って政治家が時間稼ぎをするときの常套手段なことは、中高生だって判っていますからね。

また、舛添都知事は他人への追及が厳しい方なので、「おいおい、自分のことになったら自己保身かよ」という意味でも納得いかない人が多いのでしょう。

謝罪はデスパレートでなければならない

私は謝罪はデスパレート(崖っぷち)でなければならないと考えています。
少しでも言い逃れや自己保身が感じられるものは、謝罪ではありません。

許されるかどうかに関しては、謝罪する側に主導権はありません。
謝罪される側が決めることです。

この基本から外れるから周囲の反感を買ってしまうのです。


例えば、営業マンがアポの時間に電車の遅延で遅刻したときのケースで考えてみましょう。

遅延届を出して「電車が遅れていて遅刻してしまいました。申し訳ございません」と謝罪したとします。

もちろん、電車が遅れたのは営業マンのせいではありません。
しかし、遅れてしまって相手を待たせてしまったことには変わりはないのです。

ですから、状況説明の前に「お約束の時間に遅れてしまって大変申し訳ございません」と謝罪するのが先です。

まとめ

あと、謝罪が受け入れられるかどうかは、普段の行いや人柄が大きく影響することも忘れてはいけません。

普段から他人に厳しいスタンスを取っていれば、自分が何かやらかした時は必ず厳しい立場に追いやられますよ。

そう考えると、自分に厳しく、他人に優しくが大切なんでしょうね。


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